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INFO:
島全体に戦禍の残り香が漂っていた。至る所に軍用だった地下坑道やトーチカなどの戦跡が残る。多くが見学できるように整備されているのは、痛ましい記憶であるとともに、中国から島を守り抜いた勝利の歴史でもあるからだろう。  13日の台湾総統選からまもなく、台北から西へ約320km、中国大陸を数km先に望む台湾支配下の離島、金門島を訪れた。  島は、1949年の中台分裂後、中国との戦いの最前線となってきた。58年には、金門島をめぐって双方で激しい砲撃が行われ、中国から47万発もの砲弾を受けながらも撃退した。  往時は、対中の軍事拠点として10万人の軍人が駐留したが、軍政の終了に伴いその数を減らし、現在は数千人だという。併せて島の経済も軍人中心から、観光地化へと転換。2001年に「小三通」と呼ばれる中国大陸との通商・通航が始まると、多くの中国人観光客が訪れるようになり、今度は中台交流の地として、そのありようを一変させた。  しかしコロナ禍以降、大陸からの観光客は許可されていないままだ。島内の観光スポットは、どこも閑散としていた。  50代のタクシー運転手は 「今となっては中国人観光客は、島のあらゆる経済分野にとって大きな存在。総統選を(対中強硬路線を見せる)与党、民主進歩党が勝ったことも、島の先行きにどう影響するか」と複雑な面持ちで話した。  金門島から22年に完成した金門大橋を渡り、烈嶼島(小金門)から彼岸を見晴らした。中国・アモイ市に林立する摩天楼は、森林や田畑が広がる此岸とは、対照的な光景だ。  その時、静けさを切り裂くように、パン、パン、パンーと乾いた音が響いた。「軍の訓練射撃です」と近くにいた住民女性は言った。やがて兵士らの号令とおぼしき声も聞こえてきた。その姿は鬱蒼(うっそう)とした森に隠されて見えないが、すぐ側にいるのだ。  中台交流の要衝であると同時に、台湾防衛の最前線でもある。それが、巨大な中国を眼前に仰ぐように浮かぶ、この小さな島が背負う宿命だった。(写真報道局 松本健吾)
【探訪】台湾防衛の最前線 金門島の今【探訪】台湾防衛の最前線 金門島の今【探訪】台湾防衛の最前線 金門島の今【探訪】台湾防衛の最前線 金門島の今
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