わたくしの日記ですのでご遠慮下さい。
生きることが最近なんか楽しい。何故だろうって考えてみた。たぶん勝てる自信があるからかな。負けることはあり得ないけど穏やかに収めたいね。
掲示板を日記代わりに使うな。
やりたきゃ、自分のブログでやれ。
青春 朱夏 白秋 玄冬
朱夏がやっと終わったかも。白秋のステージになったかなと思ってる。静かに古典を読んで経験したことの意味を理解してみたい。
ベランダにプランターを置いてる。食事で余った野菜とかを捨てたりする。
腐葉土というか土壌の栄養になるかなって色気もあったりする。米を捨てると小鳥があっという間についばみに来る。
小鳥が種を運んできたのか芽が出てき二葉になった。たぶん雑草だろうが少し見守ってみたいと思ってる。
自分にまだ色気が有るのに驚いた。人って業が深いね。
焼酎を飲むとしんどくなるので止めたけど余ってるのでどうしようかと検索したら洗剤にいいらしい。
騙されたと思ってやってみたら効果抜群。油汚れでも焼酎を先にかけておくとサッと落ちる。
霧吹きの瓶を100均で買ってきて洗面所に置いてる。アルコール除菌だから凄くいい感じ。
他者の評価が気にならなくなった。仲良くしたいような人もいない。煙たがられる変わり者の方がひょっとして楽なのか。
うっとおしい飲み会とかに誘われずにさっさと家に帰って何の気兼ねもない生き方の方が生きてる感じがする。
君子の交わりは淡くして水の如し。小人の交わりはこねくりまわした飴の如し。数千年前となんら変わらんね。
知識は力なりは本当だと思う。ロジャーベーコンだったかな。最近思うけど物事の認識能力って言語能力そのもだと思う。
例えばAを見てもAだとしか思えない人もいればAだろうがBの要素もあるねって思える人もいる。何が違うかって言うと言葉の多様性なんだよね。
つまり国語能力。雨という言葉は英語ではrainだけだ。一人称も男でも女でもIしかないんだよ。
この単純さがアメリカの科学系のノーベル賞の多さだと思う。文学賞ではヘミングウエイがいるが彼の老人と海は確かに傑作だと思う。原文でも読んだけど傑作だと思った。
人は変わり続けるってことに最近気付いた。古いものは捨てて新しいものに馴染んで、でもそれもいつか捨てる。その繰り返しで人は生まれ結婚し死んでいくんだね。歴史の中ではわたしは芥子粒みたいなものかな。
自由がこれほど心地好いとは発見だった。他者に対する興味が一切失せてきた。一冊の本を手に取ると息づかいすら感じる。二百年前の人もあんまり変わらない。現実のうるさい人間はもう御免だ。いにしえの人と語り合いたい。
森でンコしてます。目の前には真っ赤なヘビイチゴが。
食べていいんだけど味がないらしい。
アリストテレスのテーゼに人は社会的動物だってのがある。そうかもねと看過されがちだけど現代では間違ってると思う。
人は社会にコミットする度に不幸になると思う。でなければ宝くじに当たって会社を止めて南の島で釣り三昧で誰にも邪魔されずのんびり過ごしたいなんて渇望は生まれないと思う。
今は人は社会から逃げてこそ幸せになれると最近思ってる。