
<長崎ケーブルTV>原爆投下後を2年かけ放送 米撮影基に
原爆投下後の長崎を撮影した米国の貴重なカラーフィルム2本(計約11時間半)を基に構成した番組を、長崎市のケーブルテレビ放送局「長崎ケーブルメディア」が約2年間にわたって放送している。
「肉親が映っている」といった情報を基に取材を重ね、番組を更新し続けている。地道な取り組みを評価され、優れた放送番組に贈られる「ギャラクシー賞」の部門賞を昨年と今年の2年連続で受賞した。
番組は2015年11月に放送が始まった「ながさき原爆記録全集」。米海兵隊が原爆投下翌月の1945年9〜11月に撮影した約5時間のフィルムを昨年2月まで放送し、続編として昨年3月から今月3日までは、米国の戦略爆撃調査団が45年11月〜46年4月に撮影した約6時間半のフィルムを放送した。
番組は各回約30分で月1、2本ずつの延べ34回。映像をカットせず全編にわたって流した。
フィルムは、原爆による被害の状況や、戦後の市民の生活ぶりをとらえている。フィルムをそのまま放送するのではなく、1カットずつ撮影場所の説明文や地図を加えて分かりやすく解説し、被爆者らが当時の状況を語る映像も付けた。
2本とも原爆投下直後の長崎を撮影した数少ないカラー映像で、全てを放送したテレビ局はこれまでなかったという。1本目は昨年、ギャラクシー賞の報道活動部門で奨励賞、2本目は今年、同部門の優秀賞を贈られた。
番組は、被爆70年を迎えた15年、プロデューサーの大野陽一郎さん(62)が「ありのままの事実を伝えよう」と思いついた。自由がきくケーブルメディアの特性を生かし、全編を放送できないかと考え、知り合いのフリーディレクター・吉村陽夫さん(56)=長崎市=に編集を依頼した。取材や煩雑な編集作業が必要で、20秒分の映像編集に6時間以上かかったこともあった。
視聴者からは自分の肉親を映像で発見したという声や、番組がきっかけで70年ぶりに知人を見つけたという話が届いた。それらの情報を基に再取材し、番組内容を更新して再放送や総集編などの機会に流してきた。大野さんは「地元の皆さんと共に編み上げてできた番組だ」と語る。
大野さんによると、長崎ケーブルテレビの契約数は約8万3000世帯。県内外のケーブルテレビ局にも映像を提供し、放送されている。大野さんは「地上波のように瞬発力はないが、影響力が大きいのがケーブルテレビだ。今後も新たな情報を取材し、放送していきたい」と意気込んでいる。【浅野孝仁】
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